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国府台城 お城のデータ 城鑑賞の旅013 二人で城ある記・・・ 【攻城日】1969頃・04/01/2001
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==============古高=======飛=白=奈==平===============鎌=====建室=======安桃江=========明==大昭平
城=金===========墳句=======鳥白鳳=良==安=====将==前後====平倉=====武町====応==土山戸=========治==正和成
歴=印============羅========村===========門==九三====家============仁====================
定==============戦========江==============壱===千===千===千===千===千===千===千===千===千===
規==百===二===三===四===五===六===七===八===九===千===壱===二===三===四===五===六===七===八===九===
===年===百===百===百===百===百===百===百===百===年===百===百===百===百===百===百===百===百===百===
====================================================1456頃?↑===?=================
=====================================================1478頃?↑ ==?================= |
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攻城記(他所へ04/07/2001投稿したものを一部修正し再掲載しました)
先日のオフで国府台城に行って来ましたが名前が有名なわりに実体がわかりづらい城です、今回は地元の学芸員の方に案内いただきましてそのへんのわかりずらさがわかったことに収穫(実体がよくつかめられない城という事実)がありました。
【古い講談話ですが】下総台地が江戸川に突き出た20米ほどの台地上に郭が残っている、江戸から真東の要地であり広重の名所江戸百景にも「鴻の台」と描かれている。滝沢馬琴がこの鴻の台をイメージして南総里見八犬伝を書いたという話もあり実際北条氏と里見氏がこの城で死闘を繰り広げた市川合戦とかさなりこの城を現在「里見公園」と呼んでいるように、よりわかりにくくしている。若い頃「里見公園」が八犬伝の地と聞いたこともある、勿論上総を抑え一時は市川合戦を仕掛けたといえ里見氏の本拠は安房であり館山市が八犬伝の地として観光に力を入れている。
【太田道灌と市川城】上杉方として古河公方に対峙した太田道灌は父とともに幾つかの城を築いた、江戸城・蕨城・岩槻城を芯にして山沿いの道を抑えたのが河越城、そして川沿いの城が国府台城だという、ともにもとからの城を改造したものと思われるが国府台城の中にも天満宮があり説明板に太田道灌が文明十一年(1479)建立という、しかし同時に説明板では本来台地のもう少し南現医科歯科大の中にあったものを移転したという、けれども天満宮を信仰した道灌の遺構が残っていることは事実である、それがわかっただけでも道灌城廻シリーズ編ではニコニコ。河をさかのぼれば古河公方の土地です、八犬伝の誰だかが公方屋敷の大屋根で戦って大河を流れて・・・という設定があります(やはり馬琴は国府台城をイメージと思える)それは別として古河公方に敵対する道灌の立地選定はうまいと思える。
【市川合戦(国府台・鴻ノ台合戦)】北条氏綱・氏康父子と里見義堯、同じく北条氏康・氏政父子と里見義弘の二回の戦いがこの城で行われたことで皆さんご存じの城だと思います。房総の台地から低地へでる際にありますので両方の勢力とも重要な城だったために幾多の取り合いがあったと思われます。城郭大系による築城者千葉実胤・自胤兄弟は千葉氏の嫡総家ですがこの国府台の戦で負け太田道灌を頼り千葉実胤は対岸の石浜城に入る、千葉自胤は板橋の赤塚城によって武蔵千葉氏として約百年つづく。のちの二回の市川合戦は結局里見氏が負けて上総・安房に押し込められ北総台地は北条氏の支配下に入る、市川合戦では岩槻城や、武州松山合戦などが絡み合った展開を見せるのはご承知の通りですがそのあとこの城は第一線から退く。
【ところが】学芸員の方によりますと果たしてその国府台城(市川城)が果たしてここだったかどうか難しいということです、里見公園から国府台駅(このあたりの低地は海際だった)へいく途中国府台城から至近の舌状の台地に城の遺構があるそうです。また国府台の地名の元の国府も明確にわかっていないそうです、隣の国分台との間に根小屋という地名があったようですがこれは国府台や上記の城ではなく国分の台地の城のものだとか、いづれにしても幾つかが複合しているのか、道灌の頃、千葉氏の頃、国府台合戦の二回別々の城だったのか決めるのは難しいようです。
【さて国府台城です】主な郭は里見公園と総寧寺になっています、総寧寺は改造されていますので城の面影はありません、郭は公園や宅地になってしまい縄張り図をみて頭の中で再現しても難しい状態ですが、公園には物見台跡や二重の土塁が残っていますので見応えがあります、二重の土塁は古墳を二分したようで一番高いところに現在石棺が置かれています(当初の位置だろうということですが・・・)。公園から(城から)真西に都心のビルが見えます、江戸城にとって気になる城だったのもうなずけます。北西方向の先端部に土塁が少し残っています、その先が有名な矢切の渡しでして対岸に柴又があります、また城の少し先が映画「野菊の墓」の地です。城と関係ないですが「辻切り」の行事が残り城脇の木に藁の蛇がかかっていたのがこんな都会なのにと印象に残った。なんとなく里見公園の国府台城は北条氏の手が入った城に思えたのですがいかがでしょうか、近いうちに土塁が少し残るというもう一つの国府台城(市川城)訪れてみたい。 |
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【城 名】 国府台城(こうのだいじょう)
別名 市川城(いちかわじょう)
【所在地】 千葉県市川市国府台
【形 式】 平山城、川沿いの崖上の城
【築 城】 康正二年(1456)千葉実胤説(城郭大系)
文明十年(1478) 太田道灌が陣城説など
【遺 構】 曲輪 土塁など
【交 通】 徒歩、京成電車国府台駅下車徒歩15分位
バス通りでなく江戸川沿いの道を
ゆっくり歩くことをおすすめします
バス、駅から松戸方面行きバスが頻繁
「国立病院」下車が便利
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国府台城↑● (●は筆者記入)
地図の著作権はアルプス社、複製禁止 |
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参考書:『城郭大系』(新人物往来社)・現地での説明・現地案内板
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